掃除の哲学。

2008年5月2日
この頃は、いやいや始めた朝の掃除も苦にならなくなって来た。
何事も習慣にしてしまえば何とか成るもので、最近はいろいろ効率よく仕上げる方法を思いつく余裕も出て来た。

初めのころは、各部屋ごとに差し替えていた掃除機のコンセントも、仕事用に買って置いた、10mの延長コードで差し替え無しに家中の部屋を掃除できる事を覚えた。

先日の納戸掃除で見付けた、はたきで手の届かない所をパタパタやって、掃除機をかける。
毎日かける。
今の時期、うちのにゃんこは、毛の抜け替えの次期なのでそこら中抜け毛だらけなので、気に成ってしょうがない。
猫の毛は、箒で掃くとふわふわ舞い上がって一向に決まりが付かないので掃除機。

でもホントは、箒で掃いてごみを集めてくる方が面白い。
一見きれいそうに見えても、掃き集めているうちにどんどん埃が溜まっていく、その様子が面白い。
仕事をしてるな〜って気分に成る。

雑巾もちゃんと膝をついてごしごしと拭く。
廊下もだ。
小学校の頃よくやった、前傾姿勢でお尻をひょっこり上げて走るように拭くのは、ただ床を濡らしているだけだとある雑誌に書いてあった。

徐々に自分流の掃除方法が構築されつつある。
たかが掃除だが、掃除のやり方にも哲学はある。

40男が掃除について語るのはあまりみっとも良い事では無いな〜。
母が他界してから、やけに「早く嫁貰え」と周りがうるさい。
解っているよ。
でもこれだけは、いくら頑張ってみた処で相手が有っての話だからね〜。

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